浦安ヒストリー history5...

思い出

history5
5.この4年を振り返って
昭和53年、附属浦安がスタートして4年

学校の移転というのは大変なことである。本校が経験した過去の2度の移転は、同じキャンパス内かすぐ近くの新校舎への移転であった。今回は学校名も地域社会も違った移転であったから、前の2回の移転とは異質なものであり先生方にも大きな不安があった。それに、都内で手狭になった学校が、都外に移転してうまくいかなくなった事例をいくつか聞いていた。千葉県という地域社会の様子も、浦安という土地柄もよく解らなかった。不安はますます高まっていた。埋め立て地の真ん中にポツンと学校だけがあり、浦安駅からの交通の便も悪い。全てが新しいことであり、不安の材料ばかりがあった。

しかし、教育の現場をあずかる教師にとって、広い校地と運動場があり、整った教育施設をもった学校であることは素晴しいことであった。その上に渋谷で培った20年の伝統がある。教職員と生徒達、それに父母達の力が1つになって新しい学校づくりが始まった。
あれからもう4年が過ぎようとしている。

昭和53年度を振り返りながら、またその前の3年間をオーバーラップさせてみようと思う。 まず行事関係から振り返ることにする。

今年度行なった行事のほとんどは、移転した年から行なわれて来たものであるが、これだけの行事を移転直後から計画し実施できたのは、やはり渋谷時代の伝統の上に成り立ったということであり、また先生方、生徒諸君、そして父母の方々の協力があったからだと思う。しかも満足のいく結果を得たことは喜ばしい。

体育祭は、第1回の50年度から大変な盛り上りであった。これは体育祭に限らないが、実行委員を中心とする生徒諸君の献身的な準備があった。そして200余名の生徒数でありながら、生徒数に匹敵する父母の参加があり、それが今年度まで引き継がれて来ている。さらに今年度は、実行委員会の自主的な運営、言い換えるならば、自立への方向付けができつつあることを意味しているだけに嬉しいことである。

もう1つの大きな行事は建学祭であるが、第3回を迎えて、より1層の充実があったと思う。建学祭は50年度には実施できなかった。それは発足したばかりの生徒会で、しかも1年生だけであったことを思えば止むを得なかったことであろう。だが、当時の若い生徒会の執行部が、自分達の手で何かをやらなくてはいけないと、在校生全員の作品を持ち寄って作品展を開き、これが次年度の第1回建学祭を生んだことを忘れてはならないと思う。

文化祭(建学祭)に対して、生徒諸君達の間に種々の意見があることは知っている。しかし廻りの学校はどうであれ、本校は本校独自の文化祭を模索して、本校の文化的実力を向上させなくてはならないと思う。その意味で学校から外に向って本校の文化的レベルを誇示できるようになりたいと思うし、そうすることが本校の実力を向上させることにもなろう。

その他の行事についても生徒諸君達の積極的参加と協力があって、実にスムースに進行し成果を上げたと思う。今年度は特に、先に述べた自立への方向に向って企画、運営された行事が多かったことを喜びたいし、このことが来年度以降に生かされることを期待したい。

さて、本年度の学校としての目標には、「学力の向上」 「規律ある生活度態の育成」「自主活動の育成」があった。このうち、「自主活動の育成」は行事に見る限り満足のいく結果を得たと考えている。そこで他の2つについて述べたい。
まず学力の向上という問題である。校内の成績から見ると、1般的には満足できるものであったと思う。平均点や各教科の得点度数分布、あるいは個人の全教科平均点などから判断する限りでは先のような結論が得られよう。この原稿を書いているところで3年生の学年としての成績が出た。全体の平均点が66・5点である。成績上位者(平均点80点以上)の者が42名もいて先生方の表情も明るい。1、2学期の成績からすると、1、2年生の場合は3年生より少し悪いかも知れない。しかし、ほぼ同じ程度の結果が出てくるものと期待をしている。

もう少し詳しく分析していくと悲観的材料が出て来る。まず各学年共学習に打ち込んでいる者とそうでない者との差が出て来ていることを憂慮している。学習に対して前向きに取り組んでいない者、学校へは勉強するために来るんだという意識の弱い者が、学期が進むにつれて多くなっていることを心配している。入学したときからこの学校は、学習をする場であることを強調した。別の言い方をすれば、本校は「建学の精神」に基き、その実現をめざす場である。この生徒達が早く本来の姿に戻ってほしいと願っている。

次に学園実力テストや推薦入学試験の結果から見ると、校内の成績ほどは実力がついていないという結論を出さざるを得ない。これは我々教師にとっては非常に悲しいことである。授業内容や程度は他の学校と同じである。もちろん、本校は大学受験のための指導はしていないから、受験校と称する学校との比較をする必要はない。少なくとも、東海大学の先生方と1緒になって授業内容を検討し、プログラムをつくって授業を進めているのであるから、授業内容の理解ができれば東海大学へ進学して充分やっていけるだけの学力がつけられる。この2つの試験もその程度のものであった。それが振るわなかった。分析が不充分であるからその原因について述べることはさしひかえるが、少なくとも生徒諸君1人1人が自分の学習意欲や学習意識、あるいは毎日の生活を振り返って、より実力がつけられる努力をしてほしいと思う。もちろん、先生方も懸命に研究して来年度にそなえるつもりである。

もう1つの問題「規律ある生活度態の育成」について考えてみようと思う。
昨年度、全学年の出席率が98%を割って、先生方は大きなショックを受けた。渋谷時代に1度も経験がなかったからである。今年度は、渋谷時代にできたことが浦安でできないことはないという考えで、「遅刻、欠席をなくす運動」をしようと指導重点項目にあげた。昨年度の冬はインフルエンザの流行で、ちょうどマラソン大会が行なわれた1月末の調査で、風邪の症状をもつ者が在籍者数の半分を超えていた。昨年度の出席の低下は多分にこの影響を受けていた。

今年度は、1学期から積極的に指導する体制を取ったつもりであった。また、昨年のようなイソフルエンザの流行も見られなかった。それでも今のところ98%は確保できそうにない。最終的な結果を今出すことはできないが、少なくとも昨年より良くなっているというデータも感触もない。誠に残念に思う。ご家庭へも協力を要請した。協力してくださったと思う。先生方もできるだけの努力をした。しかし、この問題も学力の向上の問題と同じように、生徒諸君自身がどうにかしなければいけない問題なのである。「欠席をしない」「遅刻をしない」ということは社会生活を営むための基本的生活習慣として身につけなくてはならないことである。来年度からこの意識をもって欠席・遅刻のない学校生活を送ってくれることを期待したいと思う。

本稿の最初に断り書きをつけてペンを取ったときには、もう少し違った構想を持っていた。それが、ペンを進めるにつれて崩れて来た部分が多くなったと反省している。特に「5、昭和53年度」の部分では、生徒諸君に期待していることを強く書くはめになった。

この「年鑑」は、渋谷時代に1つの文集として発行されていた「千鳥」をベースにして新しく発行されるようになった。これと同じようなことが本校には沢山ある。渋谷で創立された本校は、渋谷時代の20数年間の歴史と伝統の上に成り立っていて、その上に新しい力を養い、さらに素晴しい学校に発展させなくてはならない。そのためには、生徒諸君に移転の事情を知らせる必要があると判断し、年鑑としてはふさわしくないと思える部分もあえて書いたのである。この昭和53年度については、もう少し深く掘り下げてみたかったのではあるが……。
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