浦安ヒストリー history4...

思い出

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4.附属から附属浦安へ
「かってこの地は海であった。」附属浦安高等学校のスタート

これより前、東海大学附属高等学校は、渋谷での生徒募集を停止し、在校生はこの地で卒業を迎えさせることにし、新入生は浦安で募集することにした。

昭和50年2月、浦安中学校を借用して入学試験が実施された。募集定員240名、応募者589名。寒い朝であった。浦安中学校の寒暖計は氷点下7度を示していた。合格発表は郵送によるものであった。

開校の準備が少し遅れて、開校、入学式が行なわれたのは、桜も葉桜になってしまった4月18日。前日までの雨は上ったものの風の強い日であった。1号館前に大きなテントが張られ、その中での入学式である。(今年卒業する3年生の入学式まで2年間テントでの入学式となった。)強風でテントがパタパタと音をたてる。緊張した顔の新入生214名とその父母達が、新しい学校への大きな期待を持って式に臨んでいた。

松前総長は式辞の中で、移転のいきさつを述べられたあと、「このキャンパスは東海大学の建学の精神を体得する場にふさわしいものである」ことを前おきして、建学の精神について1つ1つ話をされた。
内木校長は告辞の中で「かってこの地は海であった。その海が埋めたてられ陸地に変化し、今ここに学校が建てられた。これは価値ある変化である。我々も価値ある変化をしなければならない。」
と熱っぽい話をされた。

このとき、お2人の先生方の胸の中には、附属高等学校創立以来、運動場を求めて苦悩された日々のことが去来していたのではなかったかと拝察したし、また、喜びもひとしおであったろうと思う。

こうして、東海大学附属高等学校は、新生の東海大学附属浦安高等学校としてスタートしたのである。

新学期まもない頃であった。職員室に入ると4、5人の先生方がグラウンドを見おろしながらにこにこしておられた。私も1緒にグラウンドを見た。在校生皆んなが入学頭初に教わった集団行動の練習の場面である。

指導は柴田先生と竹内真先生。体形を変えるたびに誰かが間違える。それを職員室から先生方がにこにこした顔で見ておられたわけだ。私はこの光景を見たとき、全く新しい感動を覚えた。「新しい感動」といったのは、今までに経験のない感動であるからである。

教員となって十数年の間、グラウンドで行なわれている体育の授業を見たことがなかったからである。運動場があるということは、こういうことか。言葉では言い表わせないために、「こういうこと」という表現になったが、いかにも学校らしい光景と職員室の雰囲気であった。この学校らしさをこのときまで私自身が知らなかったのである。
1991~1992年頃の浦安高等学校
1991~1992年頃の浦安高等学校
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